サムライ
剣道の動き―例えば刀をより早く抜けるよう、相手に不意打ちを食らわれても立ち直りやすい右足を先に動かして立つなど―は合理的に判断されており、動きに無駄がない。
道場には神棚があり練習前後は拝礼を行う。
武士道の精神は、日本に伝わる武道にも息づいている。
また剣道では相手を倒すことではなく、自分に打ち勝つ事が目標である。
礼儀の厳守の中に、道徳的な訓練も内蔵される。
和辻哲郎によれば、「剣道の極致は剣禅一致つまり争闘を生への執着から生の超越に高める事である」。
明治ご時世の新渡戸は、武士道は体系としては死んだとしつつ、美徳としてはまだ生きていると述べた。
また、見学者も張り詰める凛とした空気を感じる事ができる。
武士道の根本精神は「卑しさ(卑怯、卑劣、卑屈)を恥じること」、つまり善悪ではなく尊卑が問題なのである。
それからさらに1世紀後の日本人としては、今なお生き続ける美徳を誇示しにし、守っていきたい。
単なる肉体的運動ではないのである。
剣道を例に挙げてみよう。
いかなる逆境を前にしても、淡々と業務をこなし、志を有し己に打ち勝つ人々。
だから、試合で一本取ってもガッツポーズは許されない。
日本の正しい「サムライ精神」が、アストゥリアス公賞によってワールドワイドに伝わる事を願ってやまない。